トップQs
タイムライン
チャット
視点

桃井義助

平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。左兵衛尉、兵部少輔。桃井氏の祖。足利義兼の次男。承久の乱で戦死。上野国群馬郡桃井郷に桃井城を築いた。 ウィキペディアから

Remove ads

桃井 義助(もものい よしすけ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。通称を足利次郎といい、足利義助とも表記する。官位左兵衛尉、兵部少輔。桃井氏の祖。

概要 凡例桃井義助, 時代 ...

略歴

足利義兼の次男として誕生。畠山義純の異母弟で義氏の庶兄。

父同様に鎌倉幕府に仕える。承久3年(1221年)に勃発した承久の乱において幕府方の将として出陣し、宇治川における幕府軍と朝廷軍の会戦の際、6月12日に戦死を遂げた[1]。または6月15日とも伝わる[2]

上野国群馬郡桃井郷(群馬県榛東村大字山子田字御堀)に桃井城を築き、桃井を名乗ったとされる。義助の死後、その遺児である義胤は正式に桃井郷の地頭となり、桃井を苗字とした。子孫は桃井氏として存続し、足利一門の一家として室町幕府の草創に参加した。

系譜

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads