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森岡皐
日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
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森岡 皐(もりおか すすむ、1889年(明治22年)4月15日[1][2] - 1959年(昭和34年)11月19日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
広島県出身[1][2][3]。森岡雄夫の長男として生まれる[1]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第63連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)11月、陸軍大学校(32期)を卒業し歩兵第63連隊中隊長となる[1][2][3]。
1921年(大正10年)6月、陸士教官に就任し、台湾軍参謀、参謀本部付(重慶、北京駐在)、参謀本部員、歩兵第4連隊大隊長、奉天特務機関補佐官、歩兵第48連隊付、参謀本部付(漢口駐在)を務め、1934年(昭和9年)8月、歩兵大佐に昇進し近衛師団司令部付(立教大学配属将校)となった[1][3]。
1935年(昭和10年)12月、吉林特務機関長に就任[1][3]。近衛歩兵第3連隊長を経て、1938年(昭和13年)3月、陸軍少将に進級し天津特務機関長に発令された[1][2][3]。漢口特務機関長、興亜院華北連絡部次長、同華北連絡部長官を歴任し、1940年(昭和15年)12月、陸軍中将に進んだ[1][2][3]。
1941年(昭和16年)3月、第16師団長に親補され太平洋戦争を迎え、フィリピンの戦いに参戦し、その後、フィリピンの守備を担った[1][2][3]。1942年(昭和17年)8月、予備役に編入され、以後、華北貿易総連合会会長、華北綜合調査所理事長を務めた[1][2][3]。
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親族
栄典
- 位階
- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[9]
脚注
参考文献
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