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植田いつ子

日本のファッションデザイナー ウィキペディアから

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植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日[1] - 2014年6月3日)は、日本ファッションデザイナー熊本県玉名市[1]出身。

略歴

玉名市河崎の商家で、6人兄弟の5番目に生まれる。父親が自転車店を営むため玉名駅前に転居[2]

玉名町弥富小学校、高瀬高等女学校を経て、当時唯一学徒動員がなかった熊本県女子師範学校に進学、卒業後に上京[2]

桑沢デザイン研究所桑沢洋子に師事。同時に文化学院デザイン科に通うかたわら絵画研究所で学ぶ。桑沢にデザイナーになることを勧められ[2]、1952年に銀座の高級店「銀座ビジョン」「銀座レインボー」に勤務、チーフデザイナーのジョージ岡に学ぶ[3]

久我アキラのアシスタント[4]を経て1956年独立「植田いつ子アトリエ」を開設。1964年ファッションショーを開催。1975年パリでファッションショーを開く。

1976年皇太子妃(当時)美智子のデザイナーを拝命し2012年まで務める[5]

1986年ホテルオークラでデザイン活動30周年、1996年サントリーホールで40周年の記念ファッションショーを行った際には、共に皇后・美智子が臨席した[6]

作家の向田邦子とは親しく付き合い、数多くの服を仕立てた[7]。向田が直木賞受賞パーティーの時には、植田がデザインした衣装を着用している[8]

オートクチュール・プレタポルテ・ジュエリー(ミキモト[9])・舞台衣装[10]と様々なジャンルの服飾デザインで活躍した。

2013年2月、アトリエ閉鎖[11]。ドレス作品やデッサンなど多数を玉名市[2][12]と桑沢デザイン研究所[13]に寄贈。

2014年6月3日、心不全のため、東京都内で死去。85歳没[14]。入院中には皇后・美智子から数回コンソメスープの差し入れがあり、7月15日に東京都内で開かれた「お別れの会」には、皇后・美智子も植田がデザインしたブラウスジャケット姿で出席、献花をした[15][16]

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受賞歴

  • 1975年 日本ファッションエディターズクラブ賞(FEC賞)
  • 1997年 桑沢特別賞[17]
  • 2003年 熊本県近代文化功労者(第56回)[18]
  • 2015年 玉名市名誉市民

著書

  • 布・ひと・出逢い(1992年10月・主婦と生活社、1997年11月・集英社文庫、2015年2月・集英社文庫「美智子皇后のデザイナー植田いつ子」とサブタイトルをつけた改訂版(電子版あり))
  • 植田いつ子の世界(大倉舜二共著、1983年9月・平凡社)[19]
  • 布に聴く(1996年3月・PHP研究所)
  • 植田いつ子の装い方上手(2003年4月・海竜社)
  • 布と夢―植田いつ子の仕事(大倉舜二撮影、2008年12月・PHP研究所)

参考文献

  • 西山栄子「おいしいlife ing…30からのおしゃれプラン」(1988年10月、大和書房
  • 高橋光子「この素敵な女たち」(1989年5月、泰流社
  • 鈴木三郎助「続々 友あり食ありまた楽しからずや―鈴木三郎助グルメ対談」(1991年1月、徳間書店
  • 相庭泰志構成「向田邦子をめぐる17の物語」(ベストセラーズ、2002年1月)p42-47
  • 婁正綱「心のことば」(2006年9月、世界文化社
  • 学校法人桑沢学園「桑沢文庫 桑沢洋子 ふだん着のデザイナー展―建学の精神をたどる」(2007年5月、桑沢学園)
  • 文春ムック「日本が震えた皇室の肉声 皇族・側近はこんなに「文藝春秋」で語っていた」(2010年4月、文藝春秋)p96-105
  • 向田邦子全集 別巻2 向田邦子の恋文 向田邦子の遺言(2010年4月、文藝春秋)p227-252

出典

外部リンク

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