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権万紀
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経歴
隋の洭州刺史の権仕琢(権景宣の族子)の子として生まれた。性格が剛直で、直言を好んだ。貞観年間、潮州刺史から治書侍御史に抜擢された。公事により魏徴や温彦博らを弾劾奏上した。太宗は万紀が権豪に遠慮しないことから、かれを礼遇した。万紀は御史中丞から尚書左丞に進み、冀氏県男に封じられた。西韓州刺史として出向した。のちに呉王府長史をつとめた。斉王府長史に転じ、斉王李祐をたびたび諫めた。諫言が聞き入れられないと、万紀は李祐の過失を奏聞した。太宗は劉徳威を派遣して調査させ、李祐を入朝させようとした。貞観17年(643年)、李祐は恐れて、近臣の燕弘亮に万紀を殺害させた。李祐が死去すると、万紀は斉州都督の位を追贈され、武都郡公に追封された。諡は敬といった[2][3]。
脚注
伝記資料
参考文献
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