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横田武夫

日本の実業家 ウィキペディアから

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横田 武夫1904年(明治37年)4月8日 - 1992年(平成4年)5月10日)は、日本の実業家朝日新聞社で経理部門を歩み、代表取締役ののち、日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)第5代社長を務めた。三重県出身。

概要 よこた たけお 横田 武夫, 生誕 ...

経歴

旧制第二高等学校東京帝国大学法学部政治学科卒業後、東京朝日新聞社入社。

会計、経理各部長、業務局次長、総務経理などを歴任し、1953年(昭和28年)12月、取締役に選任される。

1963年(昭和38年)の村山事件の際、矢島八洲夫(常務、総務・労務担当)、中川英造(取締役)、安井桂三郎(名古屋本社業務局長)らとともに辞表を提出。同事件収束後の翌年1月、代表取締役に就任したが、3月、元社長で大株主の村山長挙は、横田ら復職した5人の取締役の職務執行停止の仮処分申請を裁判所に提出した。この申請は却下されるが、1965年(昭和40年)2月退任する。

日本教育テレビ社長

1965年3月、日本教育テレビ代表取締役副社長に転じる。1970年(昭和45年)4月、急逝した山内直元の後継として社長に就き、教育専門局から一般局への転換、「腸捻転」の解消といわれたネットチェンジへの陣頭指揮を執る。

1974年(昭和49年)4月、日本民間放送連盟会長に就任し(75年1月まで)、11月相談役に退く。この他、北海道テレビ放送の取締役も務めた[1]

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脚注

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