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横田虎彦

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横田虎彦
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横田 虎彦(よこた とらひこ、1857年1月13日安政3年12月18日[1])- 没年不詳)は、日本政治家弁護士衆議院議員

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横田虎彦

経歴

肥前国高来郡深江村(現:南島原市)で、豪農・横田政八の第五子として生まれる[2]。漢籍を修め、その後、長崎に出てドイツ語を学ぶ[3][2]1875年東京に移り小学校教員、陸軍教導団入団、新聞社創設、政党設立などの活動を行う[2]1882年鹿児島に移り法律学を研究して、1885年8月、代言人試験に合格し、鹿児島に事務所を開いた[2]

1888年大阪に事務所を移転[2]。大阪市会議員、大阪府会議員、同参事会員、大阪組合弁護士会長などを歴任[3]。また、関西日報、大阪自由新聞を発刊した[3][2]

1902年8月、第7回衆議院議員総選挙で大阪市選挙区から出馬し当選[3]。その後、第8回第9回第10回総選挙(北海道庁函館外三支庁管内)で当選し、衆議院議員を通算四期務めた[3]

1909年日本製糖汚職事件で拘禁され、同年6月28日、衆議院議員を辞職[4]。同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固10ヶ月の有罪の判決が言い渡された[5]。その後、判決を不服として控訴、上告を行ったが、同年12月17日に大審院で判決が言い渡され、上告棄却となり有罪が確定した[6]。これにより勲四等を褫奪された[7]

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脚注

参考文献

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