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樺 (橘型駆逐艦)
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樺(かば)は日本海軍の駆逐艦。仮称5500号艦、橘型(改松型)駆逐艦として藤永田造船所で建造された。
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艦歴
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将)に編入。瀬戸内海で訓練、待機の最中に触雷して損傷する[1]。
7月15日に乗員が6月22日の爆撃で損傷した「楡」から移乗し、「楡」に代わって第三十一戦隊(鶴岡信道少将)第五十二駆逐隊に編入される[2]。
7月24日には第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機と交戦し、小型爆弾1発が命中して魚雷発射管が使用不能となり、35名の戦死者を出した[3]。そのまま呉で終戦を迎えた。
10月5日に除籍。12月1日、特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年(昭和22年)8月4日佐世保で米国へ引渡された。そのまま国内で売却され、同年10月8日から翌年3月1日にかけて三井造船玉野造船所で解体された[4]。
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』372頁による。
艤装員長
- 野尻雅一 大尉 1945年3月1日-
駆逐艦長
- 野尻雅一 大尉 1945年5月29日-
脚注
参考文献
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