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橘広房

平安時代後期の貴族・歌人。正五位下・信濃守。橘氏長者。文、蔵。文章得業生。新勅作者。子に橘遠陞(遠陸(蔵人)) ウィキペディアから

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橘 広房(たちばな の ひろふさ)は、平安時代後期の貴族歌人陸奥守橘以綱の子。官位正五位下信濃守橘氏長者

概要 凡例橘広房, 時代 ...

経歴

親族と思われる大江匡房の養子となっていたことから大江姓を称していたが、天永2年(1111年)に本姓に復し[1]、橘氏長者であった父・以綱の後を受け長者となる。

文章得業生から、のち天仁元年(1108年)に信濃守に任じられるが、在任中の天永2年(1111年)に、美濃国に向かう途中であった下野守源明国との間で私闘となり、同じくその場にあった源為義の郎党らと共に明国に殺害された。

歌人として『新勅撰和歌集』に和歌が1首入集している。

  • この里といはねど志るき谷水の志づくもにほふ菊の下枝 (歌番号・1371)

系譜

  • 父:橘以綱
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:橘遠陞
    • 男子:橘以長(?-1169)
    • 男子:橘広仲
    • 男子:橘以実

脚注

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