トップQs
タイムライン
チャット
視点

櫛橋伊光

ウィキペディアから

Remove ads

櫛橋 伊光(くしはし これみつ)は、南北朝時代武将赤松氏の家臣。

概要 凡例櫛橋 伊光, 時代 ...

人物

櫛橋氏初代・櫛橋伊朝の子。櫛橋氏は足利氏赤松氏に従って北朝方に属しており、父もそのために戦死したとされている。櫛橋氏は時代は不明ながら播磨国印南郡志方を根拠地としたが、この頃は赤松氏傍流で南朝に属した赤松氏範の次男・赤松家則が一帯を支配していたらしく、自然櫛橋氏もその影響下にあったものと思われる。氏範は一時、北朝方の赤松宗家と和睦していたが、応安2年(1369年)氏範が再び南朝方について挙兵すると、赤松宗家・赤松則祐摂津国中島において氏範軍と衝突する。その際伊範も北朝方に加わるが、その戦いで戦死した。

参考文献

  • 安田三郎「糟谷氏一族 -播磨櫛橋氏-」『県央史談』第37号
  • 山下道雄「播磨の豪族 櫛橋氏」『播磨と歴史』第23巻第3号
  • 湯山学『相模武士』第5巻 戎光祥出版
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads