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歌川国長

江戸時代の浮世絵師 ウィキペディアから

歌川国長
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歌川 国長(うたがわ くになが、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

概要 性別, 国籍 ...

来歴

渓斎英泉編の『無名翁随筆』によれば初代歌川豊国の門人。俗称は梅干之助(ほやのすけ)、一雲斎と号す。江戸の生まれで芝口三丁目(現在の新橋駅東口近く)に住み、のちに金六町(現在の銀座八丁目の辺り)に移った。「組上燈籠絵、或いは細かき細工物に組上げる錦絵」すなわち立版古の絵を得意とし、また「酒席に興を添へる事を能くす」とあり、幇間をしていた桜川善孝、甚幸といった人物とは一時の友人だったという。

作画期は享和から文化の頃にかけてで、作は黄表紙合巻の挿絵、役者絵、美人画、名所の浮絵や外国の風景を残している。なかでも『七奇図説』(『虞初新志』第十九巻所収)に基づく世界の七不思議を描いた横大判の錦絵は、ロドス島の巨像を描いた歌川国虎の作と並んで異色である。『増訂浮世絵』は国長の作で6(約2m)に余る大美人を描いた絵があったと伝える。

国長の没年については『東京美術家墓所誌』(1936年刊行)に「文政十年(1827年)七月十八日」とあるが[1]、文政11年に初代豊国追善のため建てられた豊国先生瘞筆之碑には国長の名が見え、この頃まで存命だった可能性があり定かではない。『浮世絵師伝』は文政12年に四十余歳で没したとするが、その根拠については示されていない。『無名翁随筆』は「文化ノ末ヨリ文政ニ歿ス、四十余」と記す。墓所は『東京美術家墓所誌』によれば築地円正寺で無縁塔に合祀、戒名は釈清順居士。

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作品

版本挿絵

錦絵

肉筆画

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脚注

参考文献

関連項目

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