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武寧王陵
百済第25代王の武寧王とその王妃の陵とされる古墳。 ウィキペディアから
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武寧王陵(ぶねいおうりょう)は、大韓民国忠清南道公州市にある古墳。宋山里古墳群(大韓民国指定史跡第13号)を構成する古墳の1つ。

武寧王陵 墳丘全景
百済第25代王の武寧王とその王妃の陵とされる。1971年にそれまでに発掘された古墳群に貯まる水を抜く設備を整える工事中に、偶然、武寧王陵が発見された[1]。
概要


1971年に忠清南道公州市(かつての熊津)の宋山里古墳群から墓誌が出土し、王墓が特定された。墓誌(大韓民国指定国宝第163号)には、
「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」
と記され、王の生没年が判明する貴重な史料となっている。古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキ(高野槙)と判明したことも大きな話題となった。このほか、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土した[2]。
付近は宋山里古墳群として、百済が公州を王都とした時期の王と王族の墓が約10基あり、これまで1号墳から7号墳(武寧王陵)まで発掘されている。1号墳から5号墳は石造りの横穴式石室構造で、武寧王陵と6号墳はレンガ造り(磚室墳)である。
発見された2つの墓誌石や副葬品からは、高句麗の徳興里古墳のような、被葬者の仏教信仰を立証するものは見付からなかったが、金製冠飾・木机・足座などの装飾に用いられた忍冬唐草文や蓮華文は、中国南朝の仏教美術の粋を集めた「仏教に関係のふかい文様」である[3]。墓室や羨道の側壁を飾る蓮華文塼のなかの一つには、「士 壬辰年作」の銘があり、隣接する6号墳でも「梁官品為師矣」の箆書銘の入った蓮華文塼が発見された。これらによって、王陵を飾った塼は、中国南朝梁の官瓦を模倣として作られたこと、そして壬辰年(512年)に製作が開始されたことがわかる[3]。
百済瓦当は、素弁八葉蓮華文を主体とした南朝様式が主流を形成したが、その起源をなすものが武寧王陵と6号墳の蓮華文塼である[4]。
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博物館・展示館
武寧王陵と宋山里古墳の周辺に、出土した文物を展示する博物館・展示館がある。
発掘品
- 王の冠飾り
(国宝154号) - 王の冠飾り・拡大
(国宝154号) - 王妃の冠飾り・拡大
(国宝155号) - 王妃の冠飾り
(国宝155号) - 王妃のブレスレット (銀製)
(国宝160号) - 王の金製耳飾 (拡大)
(国宝156号) - 王の足台
(国宝165号) - 王妃の足台
- 王の靴
脚注
関連文献
関連項目
外部リンク
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