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歩兵第14連隊

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歩兵第14連隊(ほへいだい14れんたい、歩兵第十四聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

概要 創設, 廃止 ...

沿革

  • 1875年(明治8年)4月1日 - 第26大隊を基幹に改編。二個大隊を基幹とし小倉に編成。
9月9日 - 軍旗拝受
4月 - 第3大隊福岡に編成の令あり、4月3日小倉を発し6月福岡城内に入る。
10月 - 秋月の乱萩の乱に出動
3月28日 - 福岡の変勃発。第3大隊後備の1個小隊、輜重兵・海軍軍楽隊・警官隊とともに暴徒を鎮圧
7月9日 - 第1大隊第2中隊、熊本より福岡へ分遣
1月21日 - 再び軍旗拝受
3月5日 - 第3大隊、福岡より小倉に移転
東満総省鶏寧県滴道に移動
7月 - 第12師団から第25師団に所属変更
  • 1944年(昭和19年) - 第3大隊主力をサイパンに派遣
  • 1945年(昭和20年)3月15日 - 本土決戦部隊として内地転用が決定される
3月下旬 - 満州を出発、輸送力の低下により移動は困難であった
4月上旬 - 宮崎県小林に移駐完了、防御陣地の構築と訓練を開始
8月15日 - 終戦
8月22日 - 軍旗奉焼
9月 - 降伏文書に基づき武装解除
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本連隊の軍旗

1877年(明治10年)2月15日に西郷隆盛が率いる薩軍が鹿児島を出発して西南戦争が勃発した。この時点で九州に所在する官軍部隊は、熊本歩兵第13連隊・小倉の歩兵第14連隊(本連隊。連隊長心得:乃木希典歩兵少佐)の2個連隊のみであった[1]熊本鎮台司令長官の谷干城少将は、第14連隊に熊本城に強行入城することを命じた[1]。熊本に急行した本連隊は、2月22日、田原坂を越えた地点にある植木で優勢な薩軍の迎撃を受け、乃木連隊長心得は衆寡敵せずと判断して兵を引いたが、この際に薩軍に軍旗を奪われた[1]

1878年(明治11年)1月、本連隊は新たな軍旗を拝受した[1]。その直後に、薩軍に奪取されていた本連隊の軍旗(旧)が発見され、陸軍省に届けられたものの、陸軍省では処置に困り、木箱に納めて倉庫に保管した[1]。この歩兵第14連隊軍旗(旧)の存在はその後忘れられていたが、1925年(大正14年)7月、陸軍省大臣官房に勤務していた国分新七郎歩兵中尉(陸士28期・陸大35期[2]、最終階級は陸軍中将[2]第46師団長として昭和20年の敗戦を迎えた[3])が倉庫を整理中に発見した[1]。ただし、国分が発見した歩兵第14連隊軍旗(旧)がその後どうなったかは不明[1]

秦郁彦は、1945年(昭和20年)の敗戦の際に現存していた約300旒の軍旗は奉焼されるなどして失われ、完全な形で現存する軍旗は1旒(歩兵第321連隊軍旗)のみであり、仮に歩兵第14連隊軍旗(旧)が現存しているとすれば価値が大きい、という旨を述べている[1]

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歴代連隊長

さらに見る 代, 氏名 ...

脚注

参考文献

関連項目

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