トップQs
タイムライン
チャット
視点
森邦武
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
Remove ads
森 邦武(もり くにたけ、慶応4年1月18日[1][2]〈1868年2月11日〉 - 1924年〈大正13年〉1月14日[2][3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[4]。前名は平吉[1][2]。
経歴
上野国山田郡桐生本町(現・群馬県桐生市本町)に、町会議員を務めた森卯平の子として生まれる[2]。先代の長次郞の養子となり、1878年(明治11年)12月、家督を相続する[1]。桐生学校、群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶ[2][5]。
1890年(明治23年)陸軍士官学校第1期卒業[2][3][4]、 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を歩兵科21番/103名で卒業している。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[1][2][6]。1894年(明治27年)中尉となり日清戦争に従軍[2]。台湾平定にも功績があり功五級金鵄勲章、勲六等瑞宝章を授与される[2]。1899年(明治32年)陸軍大学校第12期卒業[2][3][4]。北清事変の功により勲五等瑞宝章を受章[2]。
日露戦争には第1軍参謀として従軍、1906年(明治39年)にはその功により功三級金鵄勲章、勲四等旭日小綬章を授与される[2]。大本営陸軍参謀、第3師団副官、遼東兵站監部参謀を経て、1908年(明治41年)9月に陸軍歩兵大佐に進級[1][4]。ついで、同年12月に教育総監部第2課長、1913年(大正2年)4月に歩兵第14連隊長、1914年(大正3年)5月に陸軍少将・歩兵第36旅団長、1916年(大正5年)8月に青島守備隊司令官を経て、1917年(大正6年)8月に待命、同年12月に予備役に編入した[3][4]。
Remove ads
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads