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民主主義復興最高評議会
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民主主義復興最高評議会(みんしゅしゅぎふっこうさいこうひょうぎかい、フランス語: Conseil suprême pour la Restauration de la Démocratie、略称CSRD)は、2010年2月18日にニジェールにおいて軍事クーデターを起こし、実権を握った軍事政権。議長はサル・ジボ[1][2][3]。CSRDは、「ニジェールをよき民主主義と統治のモデルにする」ことをクーデターの目的と主張した[4]。
→詳細は「ニジェール軍事クーデター (2010年)」を参照
クーデターの原因
この軍事クーデターは、タンジャ・ママドゥ大統領が2009年8月に憲法を改正し、憲法で定められた任期を超えて国家元首の座に留まることを可能にしたことで発生した[4]。
→詳細は「ニジェール軍事クーデター (2010年) § クーデターの背景」を参照
活動
CSRDはタンジャ・ママドゥ大統領を退陣させ兵舎に拘束した後、ニジェールの第六共和制 (ニジェール)憲法を廃止し[5]、全ての国家機関を解散させた[4]。
メディアに対しては、ニジェールは今後、民主主義と良き統治のモデルとなるよう統治されると発表した。
クーデター後の2日間、何千もの人々が軍事政権と、その民主主義を導入するという目的を支持するデモを行った[6]。
2010年10月に新憲法案が国民投票で9割以上の賛成を得て承認され、2011年3月12日に大統領選挙を実施。ニジェール民主社会主義党議長のマハマドゥ・イスフが当選し4月7日に就任宣誓を行い民政移管が果たされ、CSRDはその役割を終えた[7]。
主要メンバー
- サル・ジボ - 議長(大佐)
- ジブリル・ヒマ・ハミドゥ (Djibrill Hima Hamidou) - 1999年のクーデターにおけるスポークスマン。ニジェールサッカー協会の会長でもあった。(大佐)
- グコイェ・アブドゥル・カリム (Goukoye Abdul Karimou) - 臨時政府スポークスマン。(大佐)
- アダム・アルナ - 1999年クーデターのリーダー・ダオダ・マラム・ワンケの側近(Aide-de-camp)[8]。
脚注
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