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水田和幸
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水田 和幸(みずた かずゆき、1955年11月29日- )は、日本の元男子バレーボール選手。
来歴
高校時代
大阪商業大学附属高校バレー部のレギュラーとして活躍。高校3年の1973年のシーズンには、第1エースとして春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)、高校総体、国体の3冠を達成している。[1]
大学時代
高校卒業後、大阪商業大学に進学し、バレーボール部のレギュラーとして活躍。[2]1975年には、全日本男女学生代表として、中国への遠征試合に派遣され、北京・南京・天津を転戦した。[3]同年、東ドイツ、ブルガリアを招いての三国バレーボール試合に学生ながら日本代表に選ばれた。[4]このほか、日本選抜メンバーも選ばれ試合をしており、日本選抜には大阪商業大学附属高校時代の同期である西岡秀人などが選ばれていた。
社会人時代
1978年に当時実業団リーグであった神戸製鋼所に入社し、バレーボール専門団の所属。1979年からはキャプテン・レギュラーとして活躍を続け、実業団リーグでは1979年、1981年、1984年に神戸製鋼所の優勝に貢献した。また日本リーグでも4シーズンプレーした。1979年には、USA国際招待大会ならびにユニバーシアード・メキシコ大会に日本代表として試合に出場した。特に、ユニバシアードメキシコ大会では、日本代表の背番号1番として主将を務め、チームを牽引し、日本男子は10カ国中、韓国、キューバについで3位の銅メダルを獲得している。[5]1985年に現役を引退。1991年~1993年のシーズンには、神戸製鋼所バレー部の監督を務めた。[6]
引退後
現在も神戸製鋼所の社員として勤務を続けるかたわら、兵庫県明石市でのバレー教室のコーチを務める。2010年4月より兵庫県加古川市の平荘湖アクア交流館の館長として赴任している。[要出典]
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家族
娘の水田祐未[要出典]もバレーボール選手で現在久光製薬スプリングスに所属している。
脚註
参考文献
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