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水野忠光
日本の江戸時代の大名、肥前唐津藩の第3代藩主 ウィキペディアから
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水野 忠光(みずの ただあきら/ただあき)は、肥前国唐津藩の第3代藩主。忠元系水野家10代。水野忠之の玄孫で水野忠邦の実父である。
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略歴
明和8年(1771年)8月20日、第2代藩主水野忠鼎の長男として生まれる。天明5年(1785年)に従五位下、式部少輔に叙任される(のち転任)。文化2年(1805年)9月5日の父の隠居により家督を継いだ。藩政においては父が用いた家老の二本松義廉を罷免して、親政を行なって改革を進めたが効果はなく、文化9年(1812年)に次男の忠邦に家督を譲って隠居した。文化11年(1814年)4月4日に江戸で死去した。享年44。
没年の文化11年には唐津の雄岳山に地元の石工(値賀川内石工)らによって墓碑が建立された[1] 。墓所は茨城県結城市大字山川新宿の山川水野家墓所にもある(菩提寺の旧万松寺内にあった墓所で初代忠元から11代忠邦までの11基の墓のみが残る)[2]。
系譜
父母
正室
- 勝子 ー 浅野重晟の娘
側室
- 恂 ー 中川氏
子女
脚注
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