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永冨研二

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永冨 研二(ながとみ けんじ、1941年2月21日 - )は、日本歯科医師カントリー・ミュージックミュージシャン歌手[1]。「京都カントリー界の大御所」と評される[2]

経歴

高校3年生だった1958年に、兄・陽一とともに[2]テネシーファイブを結成し[1]出町柳喫茶店などで演奏を始めた[2]

1959年大阪歯科大学に入学した[2]

1960年には「東京グランド・オール・オープリー」にオーディションを経て出演して、ジミー時田をはじめとする当時の日本の一流カントリー・ミュージシャンたちに接し、その後、京都ではアメリカ文化センターに定期出演するようになり、1969年の時点で出演回数は100回に達した[2]

1965年歯科医師免許を取得した[2]

1974年以降は、カントリー音楽の本場であるアメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルを何度も訪れ、1978年には、アーネスト・タブのラジオ番組『Midnight Jamboree』に出演し、さらにCMAミュージック・フェスティバルの前身にあたる「インターナショナル・カントリー・ミュージック・ファン・フェアーにも出演し[2][3]、翌1979年にはバンドとしてナッシュビルへのツアーをおこなった[3]

この間、1977年には、カントリー・ライブハウス「ケニーズカントリー”もろぐち亭”」を開店した[2]

京都市北区小山南上総町に永冨歯科医院を構え、1986年にはその2階にライブハウス「ケニーズ (KENNY'S)」(正式名称:ケニーズカントリーミュージックステーション)を設け、以降、活動の拠点として、頻繁にステージに立ち続けるようになった[2]

1988年には、ゲストにチャーリー・マッコイ英語版を招いての、バンドの結成30周年コンサートを円山公園音楽堂で開催し、その後は「カントリー・ドリームコンサート」と題して京都テルサなどでコンサートをおこない、2002年以降、2021年までは円山公園音楽堂での公演を重ねた[2]

1994年には『グランド・オール・オプリ』へ出演した[4]

2000年より、MATT下野とともにカントリーとブルーグラスのコンサート「KYOTO OPRY」を創始し、毎年開催する[1]

2018年には、歯科医師としての長年の貢献に対して、瑞宝双光章を受章した[5]

2021年には、「フォーク・カントリーミュージックの振興及び円山公園音楽堂の活性化の御功績」に対して、京都市文化芸術有功賞を受賞した[6]

娘の永冨真梨は、ボーカリストとしてテネシーファイブの一員でもあるが、アメリカ文化史ポピュラー音楽研究などを専門とする研究者、関西大学社会学部准教授である[2]

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脚注

外部リンク

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