トップQs
タイムライン
チャット
視点
江戸千太郎
日本の外交官 ウィキペディアから
Remove ads
略歴
1904年(明治37年)3月、旧制小浜中学校卒業、明治40年度に早稲田大学高等師範部歴史地理科[3]を卒業し、さらにその翌年に東京帝国大学選科(国史)を卒業し、旧制志布志中学校、旧制水戸中学校に教諭として勤務する[4]。
1918年(大正7年)、外交官補試験に合格、外務省入省。1919年(大正8年)領事館補。1925年(大正14年)より領事として青島、漢口(中国)、リバプール(イギリス)、バンクーバー(カナダ)等に勤務。1931年(昭和6年)より外務省文化事業部第二課長、第一課長兼文部書記官歴任。
1935年(昭和10年)、ハンブルク(ドイツ)総領事。1938年(昭和13年)4月、天津(中国)総領事に赴任することとなっていたが、ドイツ・ベルリンからブレーメンに向かう途中、交通事故により死去[5]。
Remove ads
著書
- 受験者の覚え易き日本地理
- 受験者の覚え易き日本歴史
- 受験者の覚え易き西洋歴史
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads