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池松時和
日本の内務官僚 ウィキペディアから
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池松 時和(いけまつ ときかず、1873年(明治6年)8月16日[1] - 1953年(昭和28年)4月17日[2])は、日本の内務官僚、官選府県知事。

経歴・人物
鹿児島県の出水郷武本村(後に出水郡上出水村、出水町)、現在の出水市出身[3]。向江平良馬場(現出水市向江町)の[4]士族・池松静蔵の長男として生まれる[1]。幼名・与一郎[3]。父静蔵は西南戦争で戦死[3]。1878年3月、家督を相続する[1]。1893年7月鹿児島高等中学造士館予科卒業、1895年7月鹿児島高等中学造士館本科卒業[5]。1898年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業[6]。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り警視庁警部となる。
以後、佐賀県参事官、群馬県警部長、岩手県警部長、栃木県事務官・第四部長、愛知県事務官・第四部長、福井県内務部長などを歴任。
1912年3月、福井知事に就任。以後、千葉県・滋賀県・和歌山県・大阪府の知事を歴任。1922年10月、京都府知事となる。郡部の道路整備、養蚕業の振興を推進した。1924年12月に辞任し退官。1933年に都ホテル株式会社取締役会長に就任した。宗教は浄土宗[7]。趣味は読書[7]。
福井県知事就任直後、福井県会(県議会)において国民党と政友会の対立により予算不成立になった際は、臨時県会を招集して両会派の調停に努め予算成立に尽力[3]。その後、各地の知事を歴任する中、その土地の政友会に協調して仕事をしたため、政友会系の知事とみなされた[3]。第二次世界大戦後は郷里に戻って余生を送った[3]。
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家族・親族
- 池松家
- 1876年 -
- 妻・てつ(滋賀士族・杉村次郎の二女)[7]
- 1881年 -
- 男・時彦[7]
- 1903年 -
- 二男[7]
- 1904年 -
- 長女・喜美子[7]
- 1901年 -
- 1907年 -
脚注・出典
参考文献
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