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沖縄製糖
日本の企業 ウィキペディアから
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沖縄製糖株式会社(おきなわせいとう)は、沖縄県那覇市に本社を置き、宮古島市に製糖工場を有する製糖会社である。なお、正式な商号は旧字体の「繩」を使用した沖繩製糖株式会社である[2]。
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概要
沖縄県における製糖会社の系譜は複雑であり、沖縄製糖を名乗った企業は4社存在するが、いずれも1913年(大正2年)に台湾で設立された台南製糖に連なっており、現在の沖縄製糖も台南製糖を前身とする。
製糖工場が所在する宮古島市では、島内の他の製糖工場と共に石油卸会社りゅうせきと共同で、サトウキビの精製過程で出る廃糖蜜から自動車用エタノール燃料を作る取り組みを行っている[3]。
工場
- 宮古工場
- 所在地 - 沖縄県宮古島市下地字上地725
沿革
沖縄製糖(初代)・沖台拓殖製糖
沖縄製糖(2代)
台南製糖・沖縄製糖(3代)
- 1913年(大正2年)2月 - 台湾にて台南製糖株式会社設立[5]。
- 1917年(大正6年)
- 1919年(大正8年) - 東洋製糖から宮古工場の設置権の譲渡を受ける[4]。
- 1921年(大正10年) - 宮古工場建設[8]。
- 1922年(大正11年)4月 - 宜野湾工場が嘉手納工場に合併される[4]。
- 1923年(大正12年)2月 - 宮古工場操業開始[4]。
- 1927年(昭和2年) - 台湾の事業を分離して昭和製糖株式会社とする[6]。
- 1929年(昭和4年)9月 - 豊見城工場が宮古工場に合併される[4]。
- 1932年(昭和7年) - 沖縄製糖株式会社(3代)に改称[6]。
- 1945年の終戦直前の時点では、沖縄本島に3工場(嘉手納・西原・高嶺)、宮古島に1工場を有していた[9]。
沖縄製糖(4代)
- 1952年(昭和27年)9月12日 - 資本金17万5,000ドルで沖縄製糖株式会社(4代)設立[9][8]。社長であった鳥井信治郎が経営から撤退したため、同社支配人であった竹野寛才(竹野一郎の父)が経営を引継ぎ社長に就任した[10]。
- 1953年(昭和28年)3月25日 - 宮古工場操業開始[8]。
- 1960年(昭和35年)6月 - 宮古工場の処理能力を1日あたり250トンから500トンに増強[9]。
- 1962年(昭和37年)10月 - 宮古工場の処理製糖能力を1日あたり500トンから1,000トンに増強[9]。
- 1982年(昭和57年)11月 - 株式分割により額面152.5円を50円に変更。
旧沖縄製糖株式会社小作人訴訟
→詳細は「沖縄土地住宅#旧沖縄製糖株式会社小作人訴訟」を参照
脚注
参考文献
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