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河套

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河套
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河套(かとうまたは河套地域とは、中国北西部で黄河上・中流が「几」の字のような形で大きく時計回りに湾曲して流れる地域で、「河套」は「河(黄河)に包まれた場所」というような意味である[1]。その形からオルドス・ループ(Ordos Loop)ともよばれる。

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黄河上・中流の地形図
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黄河の上・中流の都市には重要都市が多い

概要

黄河は甘粛省蘭州平野を経て、賀蘭山脈とオルドス高原の間を北上して、内モンゴル自治区陰山山脈に当たって東転し、さらに山西省の呂梁山脈に当たって南転する。こうした地域は「河套」と呼ばれて、銀川市オルドス市包頭市フフホト市楡林市延安市など、古来よりさまざまな重要都市が設置された。

河套地域は、寧夏回族自治区の「西套」(中国語:西套; 拼音: Xītào)と内モンゴル自治区の「東套」(中国語:東套; 拼音: Dōngtào)の2つの主要な部分に分けられる。

西部は、石嘴山、銀川、呉忠周辺の沖積平野である銀川平原(中国語:銀川平原、別名寧夏平原)と、中衛周辺の衛寧平原(中国語:衛寧平原)を含む。東部はさらに2つの部分に分けられ、西側は、バヤンノールと烏海周辺のバヤンノール平原(中国語:巴彦淖爾平原)を含む「後套」(中国語:後套; 拼音: Hòutào)、東側は、包頭フフホト周辺の土黙川平原(中国語:土黙川平原)を含む「前套」(中国語:前套; 拼音: Qiántào)とよばれる。

近隣の乾燥した砂漠/ステップ地帯とは異なり、河套は黄河や支流によってできた幅広い沖積平野であったため、牧畜や農業活動に非常に適した肥沃な草原である[2]。様々なユーラシア遊牧民が東の中原や南の黄土高原関中地域への襲撃の拠点として頻繁に使用された。

中国の歴史を通じて、この地域は特に漢や唐の時代において、北からの侵略者に対する主要な戦略的要衝だった。

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経済

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現在の銀川駅は河套地域を象形したといわれている。

古来、俗に「黄河百害、唯富一套」、「天下黄河富河套、富了前套富後套」(前套は河套の北西部、後套は北東部)などといわれて、土壌が肥沃で、灌漑が発達していて、小麦大豆コーリャンビートなどの農業が盛んであった。また、石炭、鉄、銅、貴金属の生産も豊富である。

現在では主要都市の工業も盛んである(包頭鋼鉄など)。


脚注

関連項目

外部リンク

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