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寧夏回族自治区
中国の自治区 ウィキペディアから
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寧夏回族自治区(ねいか かいぞく じちく)は、中華人民共和国西北部に位置する自治区である。ニンシャー・ホイ族自治区とも呼ばれる。首府は銀川市。
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地理
自治区北部は内モンゴル自治区、南部は甘粛省と接する。東部の一部は陝西省と接している[3]。
自治区は黄河の上流域に位置し、地勢は全体として南が高く北が低い。南部は黄土高原や六盤山地が大部分を占め、北部は寧夏平原が大部分を占め、西北部は賀蘭山が占めている。
黄河沿いの寧夏平原には、銀川をはじめとする都市が集中し、人口も集中している。
中部の固原より北は北部、南は南部と区分されている。
砂漠化が進んでいる地域の一つでもある。
気候
1月の平均気温は北部が-10度、南部が-8度、7月の平均気温は北部が22度、南部が18度で、北部が南部より温度差が大きいのが特徴である。
年の平均降水量は北部が約200ミリ、南部が500ミリで、南部が湿潤で北部が乾燥している。
民族
回族はイスラム教徒で、長年の混血のため外見上は漢族と見分けがつかないが、起源は元代に中国に流入したテュルク人・ペルシア人・アラブ人などの西域民族とされている。回族が自治区人口の三分の一を占め、残りはほとんどが漢族である。
歴史
→「寧夏省」も参照
秦の属地の北地郡であり、漢代には朔方郡となった。宋代には党項民族が勢力を拡大して西夏王国を建国した。西夏の国都は興慶府に在り、シルクロードを押さえて強盛を誇るもモンゴル帝国に侵攻され、チンギス・カンは西夏遠征中に六盤山で死去した。元代に寧夏路が設置されたが、この頃から西方民族が流入してイスラム化が進行した。明代には寧夏衛が置かれた。1591年に起きた明への叛乱である哱拝の乱は別名「寧夏の役」とも呼ばれている。清代には寧夏府が置かれた。
中華民国成立後も甘粛省寧夏道とされたが、1929年に寧夏省が新設された。六盤山は長征最後の難所となり、中国共産党が実効支配する陝甘寧辺区も成立した。中華人民共和国成立後は甘粛省寧夏地区とされたが、1958年に省級の寧夏回族自治区が設置され現在に至る。
行政区画
寧夏回族自治区は5地級市(地区クラスの市)を管轄する。
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経済
黄河が流れる寧夏平原は昔から魚や米がよく収穫され、「天下黄河富寧夏」といわれた。
農業における主要な作物は、北部ではコムギ・米・トウモロコシ・アブラナ・テンサイ・スイカ等、南部では麦・ゴマなどが有る。また、自治区は中国でも上位に位置する著名な羊の毛皮の産地で、中国各地に売られている。
教育
- 寧夏大学
- 寧夏師範大学
- 北方民族大学
- 寧夏医科大学
脚注
外部リンク
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