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河手捨二

日本の実業家 ウィキペディアから

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河手 捨二(かわて すてじ、1877年10月[1] - 1956年6月20日[2])は、日本実業家。第3代三菱鉱業会長。

人物・経歴

東京府第一中学を経て、1899年高等商業学校(現一橋大学)卒業、三菱商事入社[3]。1914年三菱商事司支店副長。1918年三菱商事若松支店長。1920年三菱商事石炭部長兼東京支店長[4]。1923年、岩崎彦弥太からの銀製カップ寄贈を受け、三菱庭球同好会HI盃大会初代委員長に就任[5]

三菱鉱業常務取締役兼営業部長、雄別炭鉱鉄道常務取締役、中島鉱業監査役等を経て[3]、1936年から三菱鉱業取締役会長を務め[6]日中戦争中、北京事務所の開設などを進めた[7]。1938年帝国コークス創立発起人[8]。1942年三菱鉱業取締役会長を退任[9]。この間、三菱本社取締役等も兼務した[10]

戦後、公職追放となる[11]。追放解除後の1956年死去。

脚注

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