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泉小次郎親衡館

横浜市泉区にある城跡。泉親衡の居城とする伝承地。 ウィキペディアから

泉小次郎親衡館map
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泉小次郎親衡館(いずみこじろうちかひらやかた)、または中和田城(なかわだじょう)は、神奈川県横浜市泉区和泉中央南泉中央公園にあった日本の城1213年建暦3年)に起きた北条義時打倒未遂事件(泉親衡の乱)の首謀者・泉親衡の居館とする伝承がある。「泉小次郎伝承地」の名称で横浜市登録地域史跡[1]に登録されている。

概要 logo泉小次郎親衡館 (神奈川県), 別名 ...
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概要

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小次郎馬洗いの池。

相模鉄道いずみ野線いずみ中央駅の南東、横浜市泉区内を流れる和泉川左岸に面した台地に築かれている[2]

城跡は南北400メートル、東西200メートルを測り、曲輪と見られる平坦地は現在「泉中央公園」となっている。公園南端には東西に走る高さ1メートルほどの土塁空堀が残り、公園東端の発掘調査では、埋没しているV字に掘られた空堀が見つかっている[3]

信濃国を本拠地とする御家人泉親衡の関東での居館と伝わり、周辺には親衡が京都祇園社牛頭天王勧請したとされる須賀神社や、親衡の道場だったとされる長福寺など、親衡に関する伝承地が複数ある[4]。また泉中央公園内の池は「泉小次郎馬洗の池」と呼ばれ、古くから雨乞いに使われていたという[5]

「泉小次郎伝承地」として、1988年(昭和63年)に横浜市地域史跡に登録された。

ただし馬洗の池から出土した板碑には、建武4年(1337年)銘や延文6年(1361年)銘のものがあることから、泉親衡の乱の時代(1213年)とは100年以上離れた南北朝時代の城郭である可能性もある[4]

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脚注

参考文献

関連項目

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