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法務省設置法
日本の法律 ウィキペディアから
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法務省設置法(ほうむしょうせっちほう、平成11年7月16日法律第93号)は、法務省の設置ならびに任務および所掌事務を定め所掌する行政事務を遂行するために必要な組織に関する日本の法律である。
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
法務省を設置する根拠となる法律である。法務省の長は法務大臣と定めている。
構成
沿革
旧憲法まで
前身の法令は、1871年8月24日(旧暦明治4年7月9日)に司法省を設置した太政官布告「刑部省弾正台ヲ廃シ司法省ヲ置ク」である。10月27日(旧暦9月14日)、太政官沙汰「大蔵省聴訟事務ヲ司法省ニ引渡サシム」により、大蔵省から聴訟(民事裁判)事務が移管され、民事・刑事の全ての裁判事務を所管する官庁となった。1872年9月5日(明治5年8月3日)、太政官達「司法職務定制」の制定によって司法省の職掌が確定、1874年(明治7年)1月9日、太政官達「司法省中警保寮ヲ内務省ニ交割セシム」により警保寮が内務省に移管。
1886年、司法省官制(明治19年2月27日勅令第2号)が制定。次いで、1889年に大日本帝国憲法が制定され、「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」とされた。当時は司法大臣に裁判官人事権があった(明治23年2月10日法律第6号裁判所構成法)。1898年、明治31年6月21日法律第12号戸籍法により司法省は戸籍管理機関となる。
移行期
1946年、司法研修所官制(昭和21年勅令第269号)が設置され[2][3][4][5][注釈 1]、司法省は1948年2月15日に廃止となった(昭和22年法律第195号法務庁設置に伴う法令の整理に関する法律)。同日、法務庁が発足(昭和22年法律第193号法務庁設置法)。
また、5月3日、裁判所法(昭和22年4月16日法律第59号)により最高裁判所が設置され、最高裁判所には司法省研修所(東京都港区芝高輪南町所在)が設置されたため、司法修習生の研修は裁判所の所管となった(1965年の最高裁判所規則に司法修習運営諮問委員会規則などがある)。
1949年、6月1日の行政機構改革によって法務庁が法務府と改称され、内部部局も5長官16局制から3長官11局制に簡素化[6]。1950年には、検察官の研修のため、検察研究所も創設した[7]。
次いで、1952年8月1日、法務府が法務省と改称された(昭和27年7月31日法律第268号法務府設置法等の一部を改正する法律)[8]。
中央省庁再編(1999年)
1999年7月16日、法務省設置法(平成11年法律第93号)が公布。中央省庁等改革関係法施行法第2条により、2001年(平成13年)1月6日施行。同日実施の中央省庁再編にあたり、旧法務省設置法(昭和22年法律第193号)は、中央省庁等改革のための国の行政組織関係法律の整備等に関する法律(平成11年法律第102号)第4条柱書及び第2号によって、廃止された。
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関連項目
- 人権擁護委員法(昭和24年法律第139号)
- 人権擁護推進施策推進法(1996年 - 2002年3月)
- 人権教育及び人権啓発の推進に関する法律
脚注
外部リンク
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