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波々伯部元教
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波々伯部 元教(ほうかべ もとのり)は、戦国時代の武将。細川氏の家臣。
略歴
波々伯部氏は丹波国の国人で[2]、元教の父・盛郷の頃より細川氏に仕えていることが確認できる[3]。
元教は父・盛郷と同じく、細川政元に近習として仕えた[3]。延徳3年(1491年)には、政元の越後下向に付き従っている[3]。また、赤沢宗益らとともに軍事活動にも携わった[3]。
明応8年(1499年)7月1日、細川政元による明応の政変でその座を追われた前将軍・足利義稙が越前より上洛する動きを見せ、比叡山延暦寺では義稙に与力して閉じ籠る衆が出ていた[4]。同月20日、閇籠衆が退散しないままだったのに対し、政元はその追い払いを命じて、赤沢宗益と元教を比叡山へと派遣した[4]。元教らは閇籠衆を攻め殺し、比叡山には火が放たれ、戒壇院を除く根本中堂・講堂などの堂舎10棟や神輿などが焼き尽くされた(比叡山焼き討ち)[4][5][6]。
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脚注
参考文献
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