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波風 (駆逐艦)
駆逐艦 ウィキペディアから
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波風(なみかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の14番艦(野風型2番艦)である。艦名は「波上に吹き渡る風」に由来する[1]。
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艦歴
舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年(大正11年)12月28日、神風型駆逐艦 (2代)「第一駆逐艦」(「神風」)と同じく第1駆逐隊に編入され、同型艦「野風」「沼風」とともに千島、北海道方面の交通保護に当った。
日中戦争に際して、1938年(昭和13年)以降、華北・華中の沿岸作戦に参加。
太平洋戦争では、主として北方において海上護衛、哨戒活動に参加。1944年(昭和19年)9月18日、択捉島南方で米潜水艦「シール」の雷撃を受け大破。「神風」に曳航され小樽で応急修理を実施後、舞鶴工廠で修理を行うと同時に、回天搭載艦への改造工事を1945年(昭和20年)2月1日まで行った。同年6月19日から宇部沖で「B-29」投下の機雷監視に従事。終戦を呉港で迎えた。
1945年(昭和20年)10月に除籍され、同年12月、特別輸送艦の指定を受け復員輸送に従事。その後、特別保管艦(賠償艦)に指定され、1947年(昭和22年)10月、中華民国に引き渡された。
瀋陽
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回天搭載艦
回天搭載艦とするため以下の改造が行われた。
- 主砲は1番主砲を残して撤去。
- 魚雷兵装は全て撤去。
- 1番缶を撤去し出力25,000馬力、速力29.5ノットへ変更。
- 25mm連装機銃6基、同単装(もしくは13mm単装)機銃8挺
- 艦尾にスロープを設け回天2~4基を搭載。
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』236-237頁による。階級は就任時のもの。
艤装員長
- (心得)田尻敏郎 少佐:1922年7月20日 - 1922年9月15日[2]
艦長
- (心得)田尻敏郎 少佐:1922年9月15日[2] -
- 田尻敏郎 中佐:1922年12月1日 - 1923年11月10日[3]
- (心得)山中順一 少佐:1923年11月10日[4] -
- 倉田七郎 中佐:1923年12月1日 -
- 郷田喜一郎 少佐:1924年12月1日 -
- 山中順一 中佐:1925年12月1日 - 1926年12月1日[5] 同日より予備艦
- (兼)佐藤慶蔵 少佐:1926年12月1日[5] - 1927年5月28日[6]
- (兼)山下深志 中佐:1927年5月28日[6] - 1928年3月1日[7]
- (兼)小林徹理 中佐:1928年3月1日 - 1928年12月10日[8]
- 池田七郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
- 長谷部喜蔵 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月15日
- 大森仙太郎 少佐:1930年11月15日 - 1931年11月2日
- (兼)植田弘之介 少佐:1931年11月2日[9] - 1931年12月1日[10]
- 古村啓蔵 少佐:1931年12月1日 - 1932年4月1日
- 渋谷紫郎 少佐:1932年4月1日 - 1933年11月1日
- 瀬戸山安秀 少佐:1933年11月1日 - 1934年11月15日
- 山田勇助 少佐:1934年11月15日 - 1936年12月1日
- 岡田要造 少佐:1936年12月1日 - 1938年12月15日[11] ※同日より予備艦
- (兼)高島鉄郎 少佐:1938年12月15日[11] - 1939年2月2日[12]
- 矢野寛二 少佐:1939年2月2日 - 1940年10月15日[13](兼「神風」艦長:1939年4月1日 - 9月26日)
- 平山敏夫 少佐:1940年10月15日[13] - 1941年9月20日[14]
- 平田正明 大尉:1941年9月20日 -
- 中尾小太郎 少佐:1942年11月20日 -
- 石戸勇 少佐:1943年10月25日 -
- 市野幸一 機関長
脚注
参考文献
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