トップQs
タイムライン
チャット
視点
津田弘道 (男爵)
明治から昭和期の建築家、政治家、華族 ウィキペディアから
Remove ads
津田 弘道(つだ ひろみち、1870年6月5日(明治3年5月7日[1])- 1931年(昭和6年)12月31日[1][2])は、明治から昭和期の建築家、政治家、華族。貴族院男爵議員。出生名・皐二(たかじ)[1]。

経歴
法学者・津田真道の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い1903年(明治36年)9月19日、男爵を襲爵し[1][3][5]、同年、弘道に改名した[6]。
1888年(明治21年)獨逸学協会学校を卒業[2][3]。同年、ドイツ帝国に留学し、1892年(明治25年)ヴュルテンベルク王国王立高等工業学校を卒業し、さらに1895年(明治28年)にベルリン美術大学に転入する[7]。同大学主任教授であったエンデに製図を習い、ベルリン工科大学に入学し建築学をおさめ、1897年(明治30年)に帰国[7]。1899年(明治32年[2])東宮御所御造営局御用掛となり設計課で勤務[2][3][4]。1905年(明治38年)に辞職し、1909年(明治42年)津田工業事務所(建築設計工務所)を設立した[2][3][4]。
1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]、1918年(大正7年)7月9日まで1期在任した[2]。
Remove ads
親族
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads