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浅海喜久雄
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浅海 喜久雄(あさみ きくお、1895年(明治28年)1月4日[1] - 1967年(昭和42年)10月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1895年(明治28年)に群馬県で生まれた[1]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第41期卒業[2]。1938年(昭和13年)12月に北支那方面軍司令部附となり[3]、1939年(昭和14年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し[3]、1940年(昭和15年)8月に支那派遣軍御用掛となった[3]。1941年(昭和16年)6月に歩兵第76連隊長に転じ[3]、1942年(昭和17年)12月に第39師団参謀長(第11軍)に就任し[1]、中国戦線に出征した[2]。
1943年(昭和18年)8月に陸軍少将に進級し[3]、1944年(昭和19年)5月に支那派遣軍総司令部附となり[1]、1945年(昭和20年)4月23日に南京政府最高軍事顧問に就任した[1][4]。
脚注
参考文献
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