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浪岡顕村

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浪岡 顕村(なみおか あきむら)は、安土桃山時代武将陸奥国浪岡城主。浪岡氏10代(最後の)当主。

概要 凡例浪岡 顕村, 時代 ...

略歴

浪岡具運の子として誕生。

川原御所の乱で父・具運が暗殺された後、叔父・顕範の後見を受けて家督を継いだ。しかし浪岡氏の勢力は衰える一方であり、天正6年(1578年)に津軽為信に本拠の浪岡城を攻め落とされる。この時捕らえられて自害させられた[1]とも、落ち延びて舅の安東愛季を頼り、慶長9年(1604年)に死去したとも言われている。

子孫は三春藩の秋田家に仕え、代々秋田の姓を名乗ったが、隠居や庶子は浪岡の姓を名乗ったという[1]三春浪岡氏)。

脚注

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