トップQs
タイムライン
チャット
視点
浮谷権兵衛
日本の実業家、政治家 (1878-1950) ウィキペディアから
Remove ads
浮谷 権兵衛(うきや ごんべえ、1878年(明治11年)2月18日[1][2][3] - 1950年(昭和25年)12月31日[2][3])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、治水家、実業家。千葉県多額納税者[1]。市川町名誉町長、葛飾瓦斯専務取締役、耕地整理組合長、東葛飾郡農会長、市川市農会長などを務めた[4]。
経歴・人物
先代・浮谷権兵衛(本楽)とヨシの長男善次郎として千葉県葛飾郡市川新田(現・市川市)に生まれ、17代権兵衛を襲名する[1]。浮谷家は農業を営み、当主は権兵衛を名乗り、父は市川町長を務めたことがあった[5]。錦城中学校、明治法律学校を卒業後、東葛飾郡市川町会議員、同郡会議員を歴任[1]。1905年(明治38年)千葉県真間川周辺の水害を防ぐため土地改良事業を提唱する[2][3]。1911年(明治44年)東葛飾郡八幡町外九カ町村耕地整理組合を結成し、組合長となり、1919年(大正8年)完工させた[2][3]。翌年、千葉県会議員に当選し、市川市耕地整理組合長を兼任した[1][2][3]。
ほか、葛飾瓦斯・市川土地興業各社長、東京コークス取締役などを歴任した[1]。
親族
- 父:浮谷権兵衛(本楽) 嘉永6年(1853年)生まれ。[6]
- 弟:浮谷竹次郎(千葉県市川市長、北総鉄道支配人)[1][7]
- 妻:阿ぐり 1883年生まれ。東京府清水八右衛門三女[6]。
- 長男:浮谷垙次郎(洸次郎)1909年生-1975年没。専修大学法科卒。ダットサン自動車トラック(のち日産自動車販売)勤務[8][6]。戦時中は中国に出征し、復員後、父親の不動産業を継いだ[9]。浮谷家は市川市近郊一帯の地主で、屋敷だけで1400坪あったという[9]。妻の数栄は1915年生まれ、山内覚三郎長女、福岡高女卒[8]。本人は「和栄、1912年福岡博多生まれ」としており、また堀川辰吉郎の長女と言われる。子に長女・朝江(東京芸大油絵科卒)と長男のレーサー浮谷東次郎[9]。長男の事故死後、母娘で自邸に教会を建立した[9]。
- 長女:かつ子 1911年生まれ。東京日本橋高女卒。市来政雄(日銀総裁市来乙彦長男)の妻。[6]
- 次男:本治郎 1914年生まれ。法政大学卒。[6]
- 長女:はま子 1916年生まれ。国府台高女卒。[6]
Remove ads
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads