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海馬村

日本統治時代の南樺太に存在した村 ウィキペディアから

海馬村
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海馬村(かいばむら)は、日本の領有下において樺太に存在した指定町村)。海馬島からなる。終戦直後にソ連軍が上陸した際、略奪、暴行を恐れた全戸が島より脱出した。東部の北古丹地区に村役場があった。

概要 かいばむら 海馬村, 廃止日 ...

現状に関してはサハリン州の項目を参照。

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海馬島東岸、沖の島から眺めた北古丹の集落

歴史

村内の地名

大字「鷗澤(通称:一區)」

  • 長浜(ながはま)
  • 鴎沢(かもめざわ)
  • 磯浦(いそうら)
  • 大沢(おおさわ)
  • 望楼下(ぼうろうした)

大字「古丹(通称:二區)」

  • 北古丹(きたこたん。通称:中央)
  • 南古丹(みなみこたん)
  • 宇須(うす)
  • 南宇須(みなみうす)

大字「泊皿(通称:三區)」

  • 泊皿(とまりざら)
  • 東泊皿(ひがしとまりざら)
  • 西浜(にしはま)
  • 海馬浜(とどはま) 

[2][3]

地域

教育

以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[4]

  • 樺太公立海馬第一国民学校
  • 樺太公立海馬第二国民学校

脚注

関連項目

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