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渋川神社 (尾張旭市)
尾張旭市にある神社 ウィキペディアから
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渋川神社(しぶかわじんじゃ)は、愛知県尾張旭市印場元町に鎮座する神社。『延喜式神名帳』の尾張国山田郡「澁川神社」に比定される式内社。
古くは「渋川」は「そぶかわ」と読まれ、尾張国山田郡の総社として信仰を集めたという。
祭神
- 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
歴史
江戸期まで天神と称していた。17世紀成立の『寛文村々覚書』には「印場村...蘇父川天神...前々除」とあり、江戸前期の時点で「蘇父川天神」と称されていたことが分かる。社伝によれば、景行天皇の時代に創建されたといい、白鳳5年(676年)に尾張国山田郡で行われた大嘗祭の斎場(ゆにわ)となったという。創建当時は現在より西南方にある「渋河」(そぶこ)と称する地にあったと推定されている。なお『日本書紀』に676年に尾張国山田郡が新嘗祭の悠紀に選ばれたという記述はあるが、渋川神社に関しては言及されていない。
天野信景により『延喜式神名帳』に記載のある尾張国山田郡「澁川神社」に比定され、以降は定説となっている。社名や地名が類似していることから当社を澁川神社とする説に異論はほとんどなく、唯一津田正生が疑問を呈しているのみである。神階について『尾張国内神名帳』貞治本は「従三位上 渋川天神」、元亀本は「従三位 渋川天神」としている。
戦国時代には織田信長によって社殿が改修され、貞享5年(1688年)には尾張藩藩主の徳川光友によって社殿が再建された。寛政3年(1791年)、1898年(明治31年)に大修理が行われている[1]。1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では、樹齢300年以上のヒノキの大樹が数十本もなぎ倒された。その後は33年から34年ごとに屋根が葺き替えられ、100年ごとに社殿の修復が行われた[1]。1897年(明治30年)に周辺にあった八劔社と山神が合祀された。
社殿は尾張旭市最古の建造物だったことから、尾張旭市は文化財保護審議会に諮問して文化財指定に前向きな姿勢を見せた[2]。2002年(平成14年)5月12日には中部大学工学部教授の小野武久による調査が行われる予定だったが、調査の8日前の5月4日には不審火によって社殿が全焼した[2]。同年6月に仮社殿が造営されると、渋川神社再建委員会が結成されて遺構調査や社殿の再建が計画された[1]。2009年(平成21年)5月には社殿が再建された。2億4000万円以上の工費が必要であり、8500万円以上の寄付が集まった[1]。
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境内
- 建築物
- 本殿 - 流造、桧皮葺
- 拝殿
- 手水舎
- 参集所
- 悠紀斎田碑
- 摂末社
- 東五社ノ宮
- 西五社ノ宮
- 神明社
- 熊野社
- 八幡社
- 忌明社
- 山神社
- 八劔社
- 稲荷社
- 津島社
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
脚注
参考文献
外部リンク
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