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渡嘉敷島
沖縄県、慶良間諸島にある島 ウィキペディアから
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渡嘉敷島(とかしきじま)は、沖縄県島尻郡渡嘉敷村に属する島である。那覇の西方約30kmに位置し、慶良間諸島の中で最も大きい島で諸島の東端にある。渡嘉敷村の役場が設置されるなど、慶良間諸島を構成する主たる島の一つとなっている。
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交通
航路
島内交通
渡嘉敷港 - 阿波連ビーチ間でとかしき観光バスが乗合バスを運行している。所要時間20分。渡嘉敷港での定期船の発着に合わせて運行される。途中、役場前に停車する。
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歴史
先史時代から人の居住があり、舟越(ヒナクシ)貝塚などの遺跡がある。琉球王朝時代に代々渡唐船の船頭を務めた根元家を始めとして優秀な船乗りを輩出しており、17世紀半ばには沖縄と中国を往来する船の監視を目的に座間味島・渡名喜島・久米島とともに烽火台(「ヒータティヤー」)が設置されている。
第二次世界大戦末期、沖縄戦では、渡嘉敷島に海上挺進第3戦隊 (隊長: 赤松嘉次) の基地が置かれていたため、米軍の激しい攻撃にさらされた。3月27日の米軍上陸後、28日には赤松隊の命令で赤間山の空き地に集められ集団自決が始まった[5]。住民の約半数にあたる368名が犠牲となった。自決場に「白玉之塔」が建立されたが、1962年、米軍が赤間山に地対空ホークミサイル基地を建設するために接収し、山は大きく削られた。慰霊碑は儀津岬に移された。1972年に基地は返還され国有地となり、現在は「国立沖縄青少年交流の家」となっている。
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産業
全産業従事者の内で第三次産業従事者が80%以上を占め[6]、年間来島者が島内人口の100倍以上の10万人を超えるなど[7]、観光業が主産業となっている。
漁業・農業従事者はいずれも5%未満だが[6]、周辺海域は好漁場で小規模ながら一本釣り・はえ縄によるマグロやカツオ漁が行われている。また、島には森林が多く水資源が豊富なこともあり、渡嘉敷地区では稲作も営まれている。
観光
周辺の島々とともに一帯は、サンゴが密生するサンゴ礁、ザトウクジラの繁殖海域、白い砂浜、海食崖と風衝地特有の植生で知られる慶良間諸島国立公園となっている[8]。渡嘉敷島自体に阿波連・渡嘉志久という2つの美しいビーチがある一方、海の透明度は50-60メートルに及ぶなど世界でも屈指で、ダイビングを始めとしたマリンスポーツが盛んである。また、12月末から3月にかけて島の周辺を回遊するザトウクジラを狙ったホエールウォッチングも行われる。
主な施設・観光名所
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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