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渡辺修二
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渡辺 修二(渡邊 修二、わたなべ しゅうじ、1888年(明治21年)12月12日[1] - 1977年(昭和52年)12月30日[1][2])は、大正から昭和期の検察官、政治家、華族。貴族院男爵議員。

経歴
本籍・愛知県[2]。旧尾張藩家老・渡辺半蔵家13代当主、渡辺綱聡の二男として生まれた[1][3]。1917年(大正6年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][3][4]。同年、司法官試補に任官[2]。以後、千葉地方裁判所兼区裁判所検事、東京地方裁判所兼区裁判所検事を務めた[2][3]。
父の隠居に伴い、1922年(大正11年)1月30日、男爵を襲爵した[1][3][5]。1925年(大正14年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され[6][7]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した[2]。同年の第1回参議院議員通常選挙に全国区からで立候補したが辞退した[8]。
資料
尚友倶楽部の所蔵で「渡辺修二貴族院公正会政務資料」がある。内容は公正会政務調査室の配付資料[9]。
親族
脚注
参考文献
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