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渡辺朗
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渡辺 朗(わたなべ ろう、1925年(大正14年)7月23日[1] - 1992年(平成4年)2月3日[2])は、昭和から平成初期の政治家。沼津市長、民社党衆議院議員、東海大学教授[1]。
経歴
1952年(昭和27年)東京大学文学部卒業[1][2][3]。米国留学してハーバード大学で学び[1][3]、その後、ビルマ・ラングーンのアジア社会党会議事務局副書記長[1][3]、ウィーンの国際青年運動本部で活動[1]。
民主社会党(民社党)創設に参画し[1]、1976年から衆院議員に当選4回[1]。衆院沖縄・北方委員長、党国際局長などをつとめた[1]。1986年7月落選[1]。同年9月沼津市長に当選[1]。1990年(平成2年)に引退した[2]。
著書
『ナショナリズム研究』など[1]。
家系
→詳細は「渡辺周」を参照
脚注
参考文献
外部リンク
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