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火祭り (ZERO1)
プロレスリングZERO1主催によるシングルマッチの大会 ウィキペディアから
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火祭り(ひまつり)は、プロレスリングZERO1主催によるシングルマッチの大会。
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概要
- 基本的には2ブロック制のリーグ戦方式で争われ、7月から8月にかけて開催されるのが通例となっている。
- 当時のプロレスリングZERO-ONE旗揚げ直後の同団体社長であった橋本真也によって「誰が一番強いんだか決めればいいんだ」の一言で提唱され、大谷晋二郎が呼応する形で、橋本を抜きにしたシングルマッチのリーグ戦として始まった、同団体の夏の風物詩とも呼ばれる大会である。
- 優勝者には、賞金と副賞、そして覇者の証である「火祭り刀」が贈られる。この刀は優勝者によって次の大会が始まるまで保持される。
歴代大会記録
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備考
第1回大会に当初は大谷、将斗に加えて、石川雄規・アレクサンダー大塚・村上一成(現:村上和成)が参戦を予定していたものの、橋本真也代表(当時)による「マーク・ケアー引抜き騒動」によってアントニオ猪木及び島田裕二(当時格闘探偵団バトラーツレフェリー)らの主導の下、バトラーツ所属の石川と大塚、UFO所属の村上の参戦が直前でドタキャンされる事態となった。また、今では火祭りを始めZERO1参加の常連で当時は若手の大日本プロレスの関本大介は、大会参加を大谷晋二郎に懇願して直訴している。大谷には時期尚早と一度断られながらも出場を果たし、全敗ながらそのパワーと将来の可能性を存分に見せ付けることになった。
第2回に石川、第3回に大塚、第6回に村上が復帰した際に「火祭り」の提唱者である大谷晋二郎が激しく抵抗する光景が見られた。
第3回優勝を果たした小島聡が贈呈された火祭り刀を引き抜こうとしたが何故か抜けず、小島はその刀身を拝めなかったという珍事件が起きた。
第11回優勝の関本大介はNWAプレミアムヘビー級王座初代王者に認定された。
第12回開催間近に出場予定であった植田使徒が橋本大地へ変更されている。
第22回は稲村愛輝と関本大介による初の他団体選手による決勝戦となった。
第23回にはウナギ・サヤカが女子プロレスラーとして初めて火祭りに参戦している。余談ではあるが、2004年にアメージング・コングが女子として初の火祭り出場をアピールしたものの、橋本真也に「女の子はダメだよ」と却下されてしまい、この時は女子選手の火祭り出場はかなわなかった。
第24回は栃木プロレスによる大会となり、5月18日の開幕戦から、7月28日後楽園ホールでの決勝戦までロングラン開催[4]かつ栃木プロレスが得意とするイベントプロレス主体となった[5]。
第25回は新運営となったZERO1が再び主催となり、前年欠場となった田中将斗らの返り咲き参加が決定。また新ハヤブサの参加が決定した[6]。Bブロック参加が決定していた関本大介は5月に負ったケガ療養のため参加辞退[7]。宮本裕向の参加が決定した。
脚注
関連項目
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