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無明舎出版

秋田県秋田市に本社を置く出版社 ウィキペディアから

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有限会社無明舎出版(むみょうしゃしゅっぱん)は、秋田県秋田市にある出版社。秋田県や東北地方に関する書籍の発行元として知られる[1][2]

概要 無明舎出版, 正式名称 ...

概要

秋田市広面に本社を置く出版社で、創業は1972年[3]。1974年に無明舎から無明舎出版に改組し現在に至る[3]。秋田県の自然、歴史、伝承、風俗などを題材とした書籍を年間数十点出版し、現在では秋田県内にとどまらずに東北地方を題材とした各種書籍も刊行している。以前はトーハン取次としていたが、現在は地方・小出版流通センターを介して全国の書店に販売している。また秋田県内の書店とは直接取引しているほか、東北地方の他県へは地元の教科書販売会社を通じて流通させている。

1976年の『中島のてっちゃ』以降、これまで1,300点以上出版している[4][3]

創業時より「秋田至上主義にならない」、「貧乏自慢をしない」、「社員を4人以上にしない」を指針に掲げている[1]

沿革

創業者である安倍甲(あべ はじめ、筆名:あんばいこう)は、1949年10月9日秋田県湯沢市の生まれ[5]秋田県立湯沢高等学校を経て1969年に秋田大学教育学部(現在の教育文化学部)に進む[5][6]。在学中の1972年9月、大学前にある洋館風の民家を借り、古書、学習塾、企画業を手掛ける「無明舎」を創業する[7][5][8]。1階を古本売場と喫茶室、事務所、2階に学習塾を置き、「古書 企画 出版 無明舎出版」の暖簾を掲げ出発した[7]。店舗は10坪に満たないほど手狭で、家賃は2万5千円であった[7]

大学中退を経て1976年、秋田市で名の知れた尺八芸人である「中島のてっちゃ」こと工藤鉄治の半生を綴ったルポ『中島のてっちゃ』を執筆した[5][6]。工藤とは大学入学直後、秋田市の歓楽街・川反の安酒場で出会い、以後度々会う間柄となった[6]。その工藤が1974年に定宿としていた旅館が譲渡され、福祉施設に入所させられたのを機にルポを執筆しようと発起した[6]。執筆には工藤本人はもとより、200人近くに及ぶ関係者を取材し、1年の期間を要した[6]。そして1976年5月、処女作となる『中島のてっちゃ』を無明舎より出版した。売れ行きは好調で、出版から3カ月で1万部を売り上げるヒット作となった[6]

『中島のてっちゃ』の売上を機に、同年、出版を専業とする「有限会社無明舎出版」に改組し新たな船出を切った[5][6]。安倍は代表取締役に就任する[3]

1980年、秋田市広面字川崎(現在地)に社屋を移転[9][10]

2017年、第33回梓会出版文化賞 特別賞( 一般社団法人出版梓会)を受賞した[11]

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脚注

外部リンク

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