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焼鮒駅
かつて日本の新潟県黒埼町(現:新潟市西区)にあった新潟交通の駅 ウィキペディアから
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焼鮒駅(やきふなえき)は、かつて新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田(現新潟市西区山田)にあった新潟交通電車線の駅。
概要
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構造
地上駅。平日午前のみ業務を行う簡易委託駅であった。相対式ホーム2面2線を有し、両ホームが構内踏切によって連絡していた。駅舎には出札窓口のほか、自動販売機、トイレ(汲取式)などが設けられていたほか、月潟方面行きのホームに秤が置かれていた[1]。
駅舎のすぐ南側を、上越新幹線の高架橋が東西に横断している。東関屋方の線路がカーブしているのは、1964年(昭和39年)の新潟地震によって、曲げられたものである。
駅名の由来
駅周辺
- 黒埼町立山田小学校(現新潟市立山田小学校)
- 当駅跡北側に所在する。校地が電車線を挟んで東西に分断されており、東側の校舎と西側のグラウンドが地下通路によって連絡していた。廃線後、線路跡はグラウンドの一部となり、直接移動が可能になった[3]。
歴史
駅跡
駅施設は全て撤去され、駅の跡地の一部は住宅地となり、線路跡は自転車歩行者専用道路として整備されている。
隣の駅
出典
関連項目
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