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物部尾輿
日本の古墳時代の豪族 ウィキペディアから
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物部 尾輿(もののべ の おこし)は、古墳時代(6世紀半ば)の豪族。安閑・欽明両天皇の頃の大連。物部荒山の子。子に物部大市御狩大連、物部守屋、太媛、物部石上贄古大連などがいる。
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経歴
安閑天皇元年(534年)、廬城部枳莒喩(いおきべのきこゆ)の娘が尾輿の首飾りを盗み、皇后・春日山田皇女に献上した事件が発覚し、この事件とのかかわりを恐れた尾輿は、皇后に配下の部民を献上した。欽明天皇が即位した際に、大連に再任されている。欽明天皇元年(539年)、大伴金村が任那4郡を百済に割譲したことを非難し、金村を失脚させて、政界から引退させた。欽明天皇13年(552年)[2]の聖王(聖明王)から仏像や経典などが献上された時(仏教公伝)には、中臣鎌子と共に廃仏を主張し、崇仏派の蘇我稲目と対立した。
系譜
脚注
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