トップQs
タイムライン
チャット
視点

狩野寿石

ウィキペディアから

Remove ads

狩野 寿石(かのう じゅせき、寛永16年(1639年) - 享保3年7月17日1718年8月18日))は、日本江戸時代前期から中期にかけての狩野派江戸狩野)の絵師。名は秀信、のち敦信。号は寿碩、のち寿石。通称は外記。

略伝

狩野信政を父、狩野探幽娘を母として、その長男として生まれる。1654年承応3年)父信政が西の丸の御用を勤めた際に父に同行して京都より下り、徳川家綱にお目見え、その後御用を勤めるようになる。以後も京都にありつつ、江戸城本丸や御所の障壁画制作にたびたび参加する。1690年元禄10年)12月5日京都より江戸に下り徳川綱吉にお目見え、以後は江戸に住み、3年後の1700年(元禄13年)浅草の猿屋町に屋敷を拝領した。以後その家系は猿屋町代地狩野と呼ばれ、表絵師として幕末まで続く。また1711年宝永8年)朝鮮への贈呈屏風の制作も手がけ、同年徳川家宣から5人扶持を与えられた。享年80。墓所は墨田区法恩寺。法名は本是院壽石日空。

作品は以下に挙げる10点余りが知られている。

作品

さらに見る 作品名, 技法 ...
Remove ads

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads