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承応

日本の元号 (1652–1655) ウィキペディアから

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承応じょうおう旧字体承應は、日本元号の一つ。慶安の後、明暦の前。1652年から1655年までの期間を指す。この時代の天皇後光明天皇後西天皇江戸幕府将軍は徳川家綱

改元

  • 慶安5年9月18日グレゴリオ暦1652年10月20日)改元。
  • 承応・文嘉・享応・承禄・承延の候補の中から後光明天皇が承応・文嘉・享応を選び、幕府へ提示。幕府がその中から承応を選んだ。
  • 承応4年4月13日(グレゴリオ暦1655年5月18日) 明暦に改元。

改元の理由は不明であるが、関白近衛尚嗣の日記によれば江戸幕府から改元の申し入れがあったが理由は明示されておらず、尚嗣も不審の念を抱いている。幕府側の史料である林鵞峰の『改元物語』によれば、実は徳川家光の逝去と徳川家綱の将軍就任を理由に代始改元を求めたものであったことが明記されており、何らかの事情で朝廷側には本当の理由を示されなかったと推測される[1]

出典

晋書』律暦志の「夏商承運、周氏応期」から。

承応年間の出来事

誕生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 承応元年(壬辰), 一月※ ...
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脚注

参考文献

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