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猪去館
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猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にあった日本の城。別称猪去御所。
概要
猪去斯波氏の居館で、雫石川右岸の沖積地に突き出した台地上部に100メートル×50メートルの規模で立地し[2]、堀跡が残る。
天文14年(1544年)、高水寺城主斯波詮高は南部氏から岩手郡太田の滴石城(後の雫石城)を攻略し、南部晴政を三戸に敗走させた。
翌天文15年(1545年)に嫡男の経詮に家督を継がせ、次男・詮貞を滴石から改称した雫石城に、三男・詮義を太田の猪去館に配置して、「三御所」と称して南部氏の反攻に備えた。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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