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玉川スミ

日本の音曲師、三味線漫談家 ウィキペディアから

玉川スミ
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玉川 スミ(たまがわ すみ、1920年7月17日 - 2012年9月25日)は、女流俗曲師(音曲師、三味線漫談家)。

概要 本名, 別名 ...

本名は中川なかがわ スミ落語芸術協会に所属し、参与を務めた。福島県郡山市出身。身長142cm[1]

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人物

父が浪曲師の桃中軒雲工桃中軒雲右衛門の弟子)で、父の影響で少女浪曲師として初舞台を踏む。初舞台は3歳のときで、14歳までに13回親が変わっている。

その後、女歌舞伎新派喜劇民謡女道楽漫才都々逸松づくし等あらゆる寄席芸を習得し、漫才では「桂小豆」の名で「大朝家シゲオ」(後の「宮アオバ・シゲオ」の「宮シゲオ」)や、大江茂(妻は大江笙子)とコンビを組んだ。1971年文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞し、1991年には勲五等宝冠章を受章している[2]2002年松尾芸能賞・特別賞受賞。

以降は、落語芸術協会定席を中心に高座を勤める一方で、日本テレビ系の時代劇『桃太郎侍』では、上方屋の女将・おはる役として長らくレギュラー出演した。

2008年12月1日~10日、国立演芸場で芸能生活85周年を記念した興行が行われ、連日主任で「松づくし」を演じた[1]

2012年9月25日、心不全のため死去。92歳没[3]

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人物

1991年3月、宮崎県延岡市の今山大師で得度を受け、「澄光尼」の法号を授かった[4]

晩年は人のオーラが見えると発言しており、「オーラのおスミ」として、「芸協らくごまつり」などで占いの余興を行っていた。

歯にはダイヤモンドが埋め込まれており、客席からも角度によっては光って見えた[1]

桂米助は「寄席の世界のシーラカンス[5]、また瀧川鯉昇は「我々の業界の最長老」[6]と称した。

出演番組

著書

  • ちょっと泣かせて下さい 三味線漫談家玉川スミ 東映企画プロモーション 1983年
  • 泣いて笑って突っぱって 北泉社 1985年
  • こけつまろびつ人生 ひとりの女として舞台一笑の熱い時。 善文社 1995年
  • 世紀末にドドイツを くまざき社 1999年

関連項目

  • 桂小すみ - 直接の弟子ではないが、音曲師となるきっかけを作っている。小すみは音曲師としての初舞台を2012年の玉川スミ芸能生活90周年記念公演で務める予定だったが、スミがその前に死去しため公演は開催されなかった[7]。小すみが寄席のお囃子から音曲師に正式に転向したのは2018年である。

外部リンク

出典

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