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現川焼

1691年から1748年まで長崎県で焼かれた陶器 ウィキペディアから

現川焼
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現川焼(うつつがわやき)は長崎県にて焼かれた陶器1691年元禄4年)から1748年寛延元年)頃までの約60年間焼き継がれた[1]

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茶碗 メトロポリタン美術館
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現川波文舟形皿 メトロポリタン美術館

概要

諫早家『日新記』の記録によれば、1691年元禄4年)に同家被官田中刑部左衛門が職務を退き、二男甚内を伴って開窯したという[1]。鉄分の濃い粘土、各種の化粧刷毛目、舟形・隅切などの大胆な器形、四季折々を描いた図柄の合致した姿は「西の仁清」「刷毛目文様の極致」と賞賛された[1]。現川焼陶窯跡には、1704年宝永元年)に建てられた窯観音があり、現川焼の創始者である田中宗悦・同甚内・重富茂兵衛等にかかわる銘が刻まれている[1]。廃窯後、1895年~1903年に馬場藤太夫、1897年頃に檀野勝次が再興したが長く続かなかった[2]

その後、第12代横石臥牛が技法と様式の再現に成功し、第13代横石臥牛がその質を高め、これにより第12代および第13代横石臥牛は長崎県無形文化財(佐世保)の指定を受けている。

脚注

外部リンク

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