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琵琶湖遭難事故

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琵琶湖遭難事故(びわこそうなんじこ)は、1941年昭和16年)4月6日に発生した遭難海難事故)。

事故の概要

春休みを利用して滋賀県大津市に合宿していた金沢第四高等学校(現・金沢大学)の漕艇部員8人は、京都帝国大学の学生ら3人を加えた合計11人で遠漕訓練を行った。午前7時頃に高島郡今津町(現・高島市)を出発して大津に向かったものの、午後6時になっても到着しなかったため、滋賀県警察部モーターボートを出動させて捜索を開始[1]。さらに翌4月7日朝より大がかりな捜索が行われた。午前10時頃に定置網にかかったオールが、更に午後2時頃には漕艇部員の持ち物と思われる下駄が発見されるなど、11人の生存は絶望視された[2]。その後も捜索は行われたが、11人全員の遺体が発見されるまで更に2か月を要した[3][4]

事故後

この事故は関西方面では大きく報道されたものの、それ以外ではあまり取り上げられなかった。しかし、犠牲となった四高の生徒らを悼む「琵琶湖哀歌」が東海林太郎小笠原美都子によってレコード化されると、そのヒットと相まって全国的に知れ渡った。

また、萩の浜の一角に四高の関係者と地元民の手で「四高桜」と銘した追悼の石碑が建てられた。この事故で犠牲になった11人の遺影は、金沢大学のボート庫に掲げられている[2]

出典

関連項目

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