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田刈屋信号場
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田刈屋信号場(たかりやしんごうじょう)とは、かつて富山県富山市田刈屋にあった信号場である。当時単線であった北陸本線と高山本線との分岐点であった[1]。
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沿革
- 1927年(昭和2年)9月1日:北陸本線富山駅 - 呉羽駅間、飛越線富山駅 - 西富山駅間に田苅屋信号場として開業する[1][2][3]。当信号場は北陸本線と飛越線の分岐点であった[1]。
- 1934年(昭和9年)10月25日:飛越線が線路名称改定により高山本線となる[4]。
- 1935年(昭和10年)6月10日:北陸本線富山駅 - 当信号場 - 呉羽駅間及び高山本線当信号場 - 西富山駅間において単線自動閉塞式を採用し、当信号場を富山駅からの遠隔制禦とする[5]。
- 1948年(昭和23年)2月13日:田苅屋信号場を田刈屋信号場と改称する[1][3]。
- 1956年(昭和31年)11月19日:田刈屋信号場を廃止する[1][3]。
- 1959年(昭和34年)11月:新神通川橋梁の供用を開始する[6]。同橋梁は富山駅 - 田刈屋間の北陸本線と高山本線の線路分離のために、単線並列による複線で建設されたものであった[7]。これにより北陸本線と高山本線との二重戸籍区間が解消。
- 写真左に分岐するのは飛越線、右に分岐しているのは北陸本線であり、田刈屋信号場はその分岐点であった。上に交叉しているのは越中鉄道の田刈屋鉄橋。
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隣の駅
脚注
関連項目
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