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田舛彦介
日本の卓球選手 ウィキペディアから
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田舛 彦介(たます ひこすけ、1920年8月20日 - 2004年7月22日)は、元卓球選手。卓球用品総合メーカー株式会社タマスの創業者。山口県柳井町(現・柳井市)出身[1]。
経歴
旧制柳井商業学校 (現・山口県立柳井商工高等学校) 卒業。 1946年、全日本卓球選手権大会では男子シングルス決勝で藤井則和に0-2で敗れ準優勝[2]。 1949年、田中良子と出場した全日本選手権混合ダブルス決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝[3]。 1950年、卓球用品総合メーカー株式会社タマスを創業した。 1957年、『卓球レポート』を創刊した。 1983年、バタフライ卓球道場を建設した。
株式会社タマスは、ブランド名であるBUTTERFLY(バタフライ)として知られている。 「選手を花にたとえるならば、私たちはその花に仕える蝶でありたい」との田舛彦介の考えから命名された[1]。
主な戦績
- 1946年
- 全日本卓球選手権大会 男子シングルス 準優勝
- 1949年
- 全日本卓球選手権大会 混合ダブルス 優勝(田中良子ペア)
著書
- 『卓球』(スポーツ入門双書 4)ベースボール・マガジン社、1960年
- 『卓球は血と魂だ』卓球レポート編集部、1983年10月
脚注
外部リンク
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