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田辺薬品
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田辺薬品株式会社(たなべやくひん)は、かつて存在した、主に医薬品・一般用医薬品・医療機器を販売していた日本の企業である。本社は大阪府大阪市東区道修町に置いていた。
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後身はメディセオ・パルタックホールディングスグループの一社「クラヤ三星堂」である。
概要
- 代表取締役社長 - 田辺源一郎
- 資本金 - 6千万円
- 従業員 - 256人
- 月商 - 4億3千万円
沿革
主な取引メーカー
その他
峯崎薬品との合併交渉
大阪市には田辺製薬の系列有力卸として、田辺薬品のほか、峯崎薬品(後の明和薬品)が存在した。両社とも創立者は田辺製薬出身者であったが、商業圏が重複していたため激しい競争が行われていた。
両社共倒れを恐れた田辺製薬は、1958年(昭和33年)8月に両社に合併を打診したが、両社の利害関係が絡み計画は進展しなかった。そのため田辺製薬は、新販売会社として資本金1000万円で大阪田辺販売株式会社を設立した。
峯崎薬品・田辺薬品とも田辺製薬準特約店とされたため、峯崎薬品は田辺製薬の提案に賛同したが、田辺薬品は拒否。新会社には峯崎薬品が資本金500万円の内400万円を株式買取の形で出資し、田辺峯崎を設立、大阪田辺販売は解散した。これにより、大阪地区の田辺製薬の特約店は田辺峯崎となり、田辺薬品は販売契約を失った。
田辺薬品は売上の30%を失ったが、他のメーカーの協力で売上を伸ばし、山之内製薬を筆頭取引会社とするようになった。
三星堂および厚和薬品との3社合併
武田薬品工業を筆頭取引とする三星堂および厚和薬品との合併により、メーカー構成、品揃えを拡大した。また兵庫県を中心としていた三星堂と、大阪府を中心とした田辺薬品・厚和薬品の合併により商業圏を拡大し、平均月商を22億1千百万円(三星堂単独では16億1千万円)に拡大した。当時の愛知県の「スズケン」の月商20億円を越え、業界トップに立った。
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関連会社
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