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留多加町

日本の領有下において1949年6月1日まで樺太にあった村 ウィキペディアから

留多加町
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留多加町(るうたかちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した

概要 るうたかちょう 留多加町, 廃止日 ...

町名の読みは公式にはるうたかであるが[2]、しばしばるたかとも呼ばれていた[3]

留多加という地名は、アイヌ語の「ル・オタカ」(砂浜に道が付いている所、浜路)、「ル・オ・タ・カ」(の足跡がごちゃごちゃある所)による[4]

当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在はロシア連邦サハリン州アニワ (Анива, Aniwa)などとして実効支配している。

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概要

  • 亜庭湾留多加川(リュトガ川)に面していた。
  • 樺太ではめずらしく製紙工場を背景としない町であった。他に製紙工場を背景としない町に本斗町がある。
  • 樺太有数の肥沃な土地であり、農耕適地が多かったことでも知られる。
  • 1807年、 ロシア海軍士官らが択捉島、礼文島などとともに留多加を襲撃する。警備のため幕府が秋田藩弘前藩仙台藩会津藩などに蝦夷地への出兵を命じる。
  • 1886年、ロシア人がリュトガ (Лютога) 村を建設する。
  • 1905年ポーツマス条約により、南樺太の一部として日本に割譲され、「留多加」と改称された。

交通

歴史

町内の地名

  • 留多加
  • 西留多加
  • 川口(かわぐち)
  • 河西(かさい)
  • 河東(かとう)
  • 江ノ浦(えのうら)
  • 浜路(はまじ)
  • 伏子浜(ふしこはま)
  • 上伏子(かみふしこ)
  • 小里(こさと)
  • 上小里(かみこさと)
  • 北平野(きたひらの)
  • 南平野(みなみひらの)
  • 小原(おばら)
  • 中小原(なかおばら)
  • 北小原(きたおばら)
  • 南小原(みなみおばら)
  • 大豊(おおとよ)
  • 豊栄(とよさかえ)
  • 北豊栄(きたとよさかえ)
  • 上大豊(かみおおとよ)
  • 天幕(てんまく)
  • 清滝(きよたき)
  • 上高瀬(かみたかせ)
  • 小愛奴沢(こあいぬさわ)
  • 三河沢(みかわざわ)
  • 山田沢(やまだざわ)
  • 奥清滝(おくきよたき)
  • 八眺嶺(はっちょうれい)

[7]

地域

教育

以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[8]

  • 樺太公立江ノ浦国民学校
  • 樺太公立浜路国民学校
  • 樺太公立留多加国民学校
  • 樺太公立平野国民学校
  • 樺太公立小里国民学校
  • 樺太公立小原国民学校
  • 樺太公立上小原国民学校
  • 樺太公立河西国民学校
  • 樺太公立大豊第一国民学校
  • 樺太公立大豊第二国民学校
  • 樺太公立豊栄第一国民学校
  • 樺太公立豊栄第二国民学校
  • 樺太公立伏子国民学校

脚注

関連項目

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